厚葬から薄葬へ

弥生時代には、石柱の上に平らな石を載せてその下に遺体を埋葬した「支石墓」が現れ、また遺体を納める甕棺(かめかん)が使われるようになり、墓の周辺に方形の溝をめぐらす形式の「方形周溝墓」も見られました。

3世紀頃からは円墳、方墳、前方後円墳、前方後方墳、上円下方墳、双方中円墳など古墳が作られるようになります。積石塚と呼ばれる、墓の上に土の代わりに石を積み上げた高塚もありました。

5世紀には応神陵(おうじんりょう)や仁徳陵(じんとくりょう)のような巨大な古墳も作られ、古墳の中には石室が作られました。遺体は棺に納められ、副葬品(人物や動物をかたどった埴輪など)が添えてあります。

古墳文化は3世紀から7世紀まで続き、前期は自然の丘陵や尾根を利用したものが、中期では周囲に濠をめぐらした巨大なものが、後期には小さな古墳が作られたのが特徴です。

古墳など手厚く葬った葬法を「厚葬」と言い、これは有力者、豪族、天皇家といった人々のものでしたが、この厚葬も儒教文化が伝来する6世紀頃から次第に少なくなっていきました。

 

その後の大化の改新で「薄葬令」が出され、「厚葬」が廃されることになります。薄葬令は、「権力者の葬儀に多くの財や労力を費やすことは民衆に過重な負担をかけるのでやめよう」という考えから生まれたものです。薄葬政策はその後もとられ、平安時代にも嵯峨天皇や淳和天皇などが薄葬を遺詔(いしょう)しています。そのため巨大墳墓や拳哀(非嘆の気持ちを表し、礼拝すること)などが姿を消していきました。しかし、泣き女(雇われて葬儀で泣き、非嘆を表す女性)などによる拳哀などは生き残り続けました。

 

『今昔物語』や『八幡愚童訓』には、薄葬令により死体遺棄に近い形であちこちに葬られていた死体を犬などが食べるさまがかかれています。

長い間、墓を作ることができたのは上層階級に限られており、民衆には鎮めなくてはならない霊魂の存在など認められなかったようです。

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古代の葬儀観

現代のように医師がきちんと死を判定するのとは異なり、古代においては死がいつか必ずしも特定できませんでした。ですから、死んだと認められてもすぐ遺体を処理してしまうのではなく、一定期間は「生きているかのように」扱ったのです。

 

殯は生と死の境界線の期間であり、喪屋を作って遺体を安置したのは、遺体の腐敗が始まるためでしょう。現在の通夜、昔の殯の遺習であるとも言われてます。死者の霊を慰めるために歌舞を行ったのは、死霊が生きている者へ厄難をおよぼしかねないと考えられていたため、その霊を鎮める必要があったからです。

 

「古事記」には死後の世界である「黄泉の国」についての記述があります。死は穢れており、死霊は生きている者を死の世界に引きずりこもうとする恐ろしいものだと考えられていたのです。

 

古代の葬儀観には、死者を大切にするという考え方と、死を穢れているものとして恐怖する考え方を見てとることができます。

 

文献に登場するはるか前、縄文時代の墳墓を発掘すると、遺体は今のように身体を伸ばした状態で葬る「伸展葬」も見られますが、腕を曲げ膝を折った「屈葬」がはるかに多く見られ、また遺体の上に石を置いた形で埋葬されたもの(抱石葬)もあります。こうした方法は、死霊への恐怖が原因と考えられています。

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日本古代の葬送儀礼

日本古代の葬送儀礼を推測する手掛かりが「古事記」(712年)にあります。天若日子の葬儀の様子として次のように書かれています。

すなわちそこに喪屋を作りて,河雁(かわかり)を岐佐理持(きさりもち)とし、鷺(さぎ)を掃持(掃除係)とし、翠鳥(かわせみ)を御食人とし、雀を碓女(米をつく女)とし、雉(きじ)を哭女(泣き女)とし、かく行い定めて、日八日夜八夜を遊びき。

※「喪屋」とは遺体を安置しておく小屋のようなもの。

※「岐佐理持」は、旗をもつ役、「掃持(持箒者)」は喪屋を掃除する箒をもつ役、「御食人」は死者に食事を供する役。

※「碓女」は死者の膳に供する米をつく役、「哭女」(哭者)」は泣き女のこと。悲観を表現して泣く役。

※「遊ぶ」は歌ったり踊ったりすること。

人が死んでもすぐに埋葬したりせず、長い間(長い場合は白骨化に至るまで)死者の鎮魂をしていたことがわかります。これは「殯」(もがり)と言われる霊を慰める儀礼でした。

 

『常陸風土記』(718年)の逸文には黒坂命の葬儀についての記述があります。

黒坂命の輪轜車、黒前之山より発ちて、日高見之国に至る。葬の具儀、赤旗青幡まじりひるがへりて、雲の飛び虹の張るがごとく、野をてらし路を輝せり。

これは葬列が行われた記録として読むことができます。現代でも葬列が行われてる地域がありますが、葬列の歴史は古代にまで遡ることができそうです。

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葬儀の起源

フランスの歴史学者ヒィリップ・アリエス(1914~1984)は『死の文化史』の冒頭で次のように書いています。

かねてより信じられていたように、人間はみずからが死にゆくことを知っており、人間が死者を埋葬する唯一の動物だと。

アリエスは、4万年以上前に共同墓地を紹介しており、北イラクのシャニダール遺跡では、墓地の人骨の周囲から花粉が発見されました。これは死者を埋葬する際に花を供えていたことを示すと推定され、死者は何らかの弔いの行為を伴って埋葬されていたと思われます。

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